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2009年7月19日 (日)

卑弥呼の墓

古代史ミステリーというのも非常に面白いテーマですね。
私も専門外ですが、遺跡が結構好きなのと、古墳が身近に見られるので、趣味としていろいろ本を読んで来ました。
中でも邪馬台国論争というのは興味深く、若き日から何冊本を読んだか分かりません。
ただ、どの論者も、論理の飛躍が大きくて、なかなか説得力に欠けるというのが、正直な感想でした。特に歴史文献系からアプローチする方の論法は、実証性が乏しく、妄想の類と思われるものもありました。あまり悪口は言いたくないので、具体的な指摘は避けますが、百家争鳴の割には、成果があまりないというのが実情でしょう。

私は、以前から、古墳の考古学的な分析の手法により、年代順序を確定させていけば、必ず卑弥呼の墓の確定も可能だと思っていました。
その点から見て、私が一番信用できるというか、考古学的見地をもとに論じられた著作として、推薦するのは、国立歴史民俗博物館名誉教授白石太一郎氏の『古墳とヤマト政権』(文春新書、1999年)です。
ここでは、古墳の歴史が考古学的分析の成果をもとに、見事に整理されており、非常に分かりやすく説明されています。なにより、論理が一貫しており、常識的ですが非常に信頼性があります。

ここで問題の三世紀中ごろの古墳の発生期から、四世紀中ごろにかけての巨大古墳がつぎのように造営順が整理されています。
(1)箸墓古墳(現倭迹迹日百襲姫陵)
(2)西殿塚古墳(現手白香皇女衾田陵)
(3)外山茶臼山古墳
(4)メスリ山古墳
(5)行灯山古墳(現祟神天皇陵)
(6)渋谷向山古墳(現景行天皇陵)
但し、(5)、(6)の前後関係は逆転する可能性あり。

重要なことは、これらの初期巨大古墳は、いずれも奈良盆地東南部、すなわち本来の「やまと」に営まれたことです。
そして、箸墓古墳については、「巨大な出現期の前方後円墳の被葬者が三輪山の神に仕える巫女であると伝えられていることは、きわめて興味深い。」と書かれています。
この、出現期の巨大古墳を生み出した政治秩序は、その後のヤマト政権の政治秩序そのものにほかならないとされています。

そして、箸墓古墳の築造年代を260年ごろとして、「箸墓古墳が卑弥呼の墓である蓋然性は決して少なくない」と結論づけられています。

2009年5月30日に、箸墓古墳の築造年代を西暦240-260年頃とする国立歴史民俗博物館春成秀爾名誉教授の研究成果が報告されました。卑弥呼の没年(248年頃)から、まさにピッタリです。
白石太一郎氏の説が大きく補強され、箸墓古墳が卑弥呼の墓である可能性は、さらに高まったといえるでしょう。

以下、私見です。

邪馬台国の時代に、「やまと」の地域に巨大古墳が出現した事実は、誰も否定することはできません。
中でも最も古い箸墓古墳は、孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)とされており、伝承・巫女的な、「やまとのひめみこ様」ともいうべき女性が葬られていることからも、卑弥呼の墓である蓋然性が高いと思います。
結局、邪馬台国も呼び名は「やまと(こく)」であり、卑弥呼も「ひめ(みこ)」と呼ぶのが一番自然です。やまとの国の、ひめみこ様のもとに統治されていた国が、ひめみこ様が死んだとき、巨大な墓を作ったという事実があったのです。

普通に考えればよいのです。本来の「やまと」は、現在の奈良平野の南東部付近の本大和とされる地域です。
まさに、全国からの土器などが発見され、邪馬台国の王都所在地ではないかと注目される纏向遺跡の存在する一帯であり、考古学的なデータとも全く矛盾しません。
そこに、三世紀中旬に、他を圧する巨大な古墳が突如出現したのです。それが、箸墓古墳です。

纏向石塚墳丘墓などの突出部と箸墓古墳の前方部との形状が類似していることや他の考古学的証拠から、箸墓古墳は、弥生時代の墳丘墓が、飛躍的に巨大化したものであることが確かめられました。
また、その後つくられる他の天皇陵クラスの古墳は三段築成が多いのに、箸墓古墳だけは、なんと五段築成(四段築成で、後円部に小円丘が載る)なのです!

被葬者の格付けという意味からも、三世紀中頃に、神格的ともいうべき、ものすごい古墳が突然つくられたのです。被葬者として考えられるのは、卑弥呼以外にないでしょう。私は、箸墓古墳こそ卑弥呼の墓であると確信しています。
広域の政治連合の最初の盟主であり、神格的な存在であった卑弥呼の墓を契機として、これ以降、大王級の首長は大きな古墳を造営することになります。
ここから、いわゆる、巨大古墳の時代がはじまるのです。

卑弥呼の死後、男王を立てたが治まらず、卑弥呼の親族で13歳の少女だった台与(壹與)が立てられたことになっています。
この台与の墓については、箸墓古墳につぐ古さで大王級の古墳とされる、西殿塚古墳(現手白香皇女衾田陵)があります。ただ、この西殿塚古墳は、現段階では、崇神天皇墓である可能性も捨て切れません。
『晋書』起居註に秦始2年(266年)に倭の女王の使者が朝貢したとの記述があり、この女王が台与と考えられ、実在性は高いので、古墳の比定も非常に興味あるところですが、長くなりますのでまたの機会に論じたいと思います。

なお、男王としてヤマト政権の初期大王となったのが崇神天皇ではないかと考えられます。
倭迹迹日百襲姫命が登場する有名な「三輪山伝説」は、『日本書紀』崇神天皇10年の条にあるのです!
祟神天皇が巫女である倭迹迹日百襲姫命の教えを聞いて政事を行なっているという記述もあり、女性の巫女の神託と、男が政務を司る関係は、魏志倭人伝の女王と男弟の関係と一致します。
倭迹迹日百襲姫命は、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹であるとされており、この点からも、倭迹迹日百襲姫命として卑弥呼が伝承された可能性が高いと考えます。

また、崇神天皇の皇女に豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)があり、天照大神を笠縫邑(かさぬいのむら)に祀った初代斎宮とされています。天照大神には、先代の偉大な女王であった卑弥呼の性格が反映されているとも考えられ、それを祀った初代斎宮が台与であるのは説得力があります。
ということで、もし台与を「とよ」と読むのなら、豊鍬入姫命が台与に比定される可能性が高いです。(ただし、「いよ」と読む説も有力です。)

祟神天皇は、御間城入彦(みまきいりひこ)、又、御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)、と称えられ、ヤマト政権の初期に輝いていた大王であると思われます。そして、現代の日本の学術上、実在の可能性が見込める初めての天皇であり、いわゆる三輪王朝の大王として、その周辺には、卑弥呼や台与に比定される女性もあり、限りなく興味深いですね。

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コメント

こんばんわ。
模糊さんの碩学にはただただ脱帽いたします。
私が巨大古墳に興味を抱いていたのは今から20年前のバブルの頃で、当時の開発ラッシュで次々と考古学上の新しい発見があったことを記憶しております。
また、歴史観や伝承という文化の世界に、科学のメスが入ったということは特筆すべきことと認識しておりました。

ただ、当時から、考古学上の調査も含めて、歴史を語るということが、果たして学問であるのか、それとも政治なのか、あるいは文学であるのか、と疑問に思っておりました。
おそらく、歴史観(学説)が百家争鳴の状態を続けることについては今後も変わらないことであると思います。
私の予測では、巨大古墳は文化と科学からのアプローチによって、より信憑性の高い「新たな物語」が創造されることになるのではないかと思っています。

私は、たとえば稗田阿礼の存在までを物語と思っていませんが、古事記についてはやはり物語の一種として接することが知的なアプローチ方法ではないか(学問的という意味ではありません)と思っています。
もちろん、古事記が史実である、と信じることを否定するつもりが全くないということは言うまでもありません。

以上、歴史を文学というスタンスで語るのであれば、興味のある歴史物語については意見を述べることも「あり」かなと思っております。

投稿: ASUKA逍遥 | 2009年7月19日 (日) 23時12分

こんばんは。
興味深いお話、拝読いたしました。
邪馬台国畿内説・九州説などいろいろあって、門外漢の私にはいつもそれぞれを興味深く読ませてもらっています。
古墳は天皇のお墓ということもあり厚いベールに包まれているというのも、人々の想像をかきたてるロマンになっているのでしょうね。
期せずして私も今回の帰国で志賀島に行ってきました。後日写真を掲載しますが、古代史へのロマンは尽きませんね。

投稿: まつきんサンバ | 2009年7月20日 (月) 00時53分

【ASUKA逍遥さん】
詳しいコメントありがとうございます。碩学とまで言っていただき感謝いたします。
確かに、巨大古墳については、政治的な問題もからんで、難しい面もありますね。
ご指摘のように、文学的な視点も可能だと思います。
ただ、私は、考古学の実証に期待しています。
ひとつひとつの古墳を考古学的な調査で、例えば年輪分析などを用いて、築造年代や築造順を確定させて行く事はできると思います。
そうすれば、文献的な考証とあいまって、例えば「倭の五王」の陵墓を確定することも可能になるのでは、ないでしょうか。
今後の展開に期待したいものですね。

投稿: 模糊 | 2009年7月21日 (火) 19時59分

【まつきんサンバさん】
コメントありがとうございます。
確かに邪馬台国問題や倭の五王の陵墓問題などは、天皇のお墓という関係で、厚いベールに包まれているからこそ、ロマンがあるのかも知れませんね。
限られた情報から、いろいろ推理したりするのは、非常に面白いですね。
今後、考古学的知見が徐々に増していくでしょうから、展開が非常に楽しみですね。
志賀島の記事を楽しみにしています。
今後ともどうぞ宜しく御願いします。

投稿: 模糊 | 2009年7月21日 (火) 20時01分

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